透明な不透明2
情報の連鎖とヒトとモノの連鎖は、そもそも一致しない。
受信と発信を行う主体が透明な全能者であれば、情報は一切加工されずに透明なまま、ただ膨大な情報量を綿々と次の連鎖へと引き継ぐだろう。現実的にはありえない。むしろ情報は暗黙的な共有知として同様の集団の中で端的に象徴化した言語で語られる。またその中で情報の送受信の主体者は、暗黙に共有化した解読方法に則り情報を咀嚼する。だから連鎖は完結していて、情報は同一集団により固有化されおり一定以上の広がりを見せない。
透明な不透明感を与えている最大の問題は、完結した情報の固有の輪の範囲を遙かに超えたレベルで、ヒトとモノがお互いに影響力を与え合っていることにある。情報はWEBによりグローバルに連結し得ても、ほとんどはその解読方法の制約により国家レベルに留まり、現実的には同一的な関心集団の輪の中に存在しているためもっと狭い。
しかし、あらゆるサービスを含むヒトとモノのグローバル化はもっと激しく進んでいる。20世紀から21世紀にかけて冷戦による分断はあったものの資本主義を下支えした原動力になったのはグローバリズムであり、地域や家族の中に存在していた価値をグローバルな分業体制の元で再定義することにより戦後の資本主義は巨大化してきた。最近の国際化したテロの動向や戦争請負会社の台頭もグローバルな市場で戦争や宗教そのものを市場化する行為に他ならない。
つまり、この情報の連鎖の輪とヒトとモノの連鎖の輪の不一致こそ透明な不透明感を与える最大の原因と思われる。情報は一歩進んでいるように感じるが、実は本当の意味での情報は社会のグローバル化についてきていない。
最近話題の「ユビキタス」「WEB2.0」はこの問題に対して何らかの解を与えるだろうか。「透明な不透明」というテーマでそのことをもう少し深く自分の中で考えていきたいと思う。
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