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2006年5月 8日 (月)

透明な不透明2

情報の連鎖とヒトとモノの連鎖は、そもそも一致しない。

受信と発信を行う主体が透明な全能者であれば、情報は一切加工されずに透明なまま、ただ膨大な情報量を綿々と次の連鎖へと引き継ぐだろう。現実的にはありえない。むしろ情報は暗黙的な共有知として同様の集団の中で端的に象徴化した言語で語られる。またその中で情報の送受信の主体者は、暗黙に共有化した解読方法に則り情報を咀嚼する。だから連鎖は完結していて、情報は同一集団により固有化されおり一定以上の広がりを見せない。

透明な不透明感を与えている最大の問題は、完結した情報の固有の輪の範囲を遙かに超えたレベルで、ヒトとモノがお互いに影響力を与え合っていることにある。情報はWEBによりグローバルに連結し得ても、ほとんどはその解読方法の制約により国家レベルに留まり、現実的には同一的な関心集団の輪の中に存在しているためもっと狭い。

しかし、あらゆるサービスを含むヒトとモノのグローバル化はもっと激しく進んでいる。20世紀から21世紀にかけて冷戦による分断はあったものの資本主義を下支えした原動力になったのはグローバリズムであり、地域や家族の中に存在していた価値をグローバルな分業体制の元で再定義することにより戦後の資本主義は巨大化してきた。最近の国際化したテロの動向や戦争請負会社の台頭もグローバルな市場で戦争や宗教そのものを市場化する行為に他ならない。

つまり、この情報の連鎖の輪とヒトとモノの連鎖の輪の不一致こそ透明な不透明感を与える最大の原因と思われる。情報は一歩進んでいるように感じるが、実は本当の意味での情報は社会のグローバル化についてきていない。

最近話題の「ユビキタス」「WEB2.0」はこの問題に対して何らかの解を与えるだろうか。「透明な不透明」というテーマでそのことをもう少し深く自分の中で考えていきたいと思う。

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2006年5月 4日 (木)

透明な不透明

昨日、大阪のJazzのライブハウスで久々に色々と語り明かしてしまった。お互いどのような過程を経てきたかわからないが、全く初対面ですごく話が通じる人達がいる。相手の方が色々と上手だったりする訳で、その話を聞き出すのがおもしろい。

周りを見回して「見やすいもの」は沢山転がっている。商品の値段が端的にそうだ。店に行って、値段の書いてないものはない。或いは商品を開発した企業が発信している情報は、情報発信に長けた企業ならすぐに私たちのもとに届く。

逆に、その商品がどのような過程でできたのか、それによってどのような影響を与えているのか知ることはものすごく難しい。自分の今使っている紙がスマトラゾウの生態系を破壊しているか否かなどどうやって知りようがあるのだろうか。

このことはある程度一般論だとは思うが、それじゃあどうするというところは人それぞれ考えがある。昨日話していて思ったことは、この一見透明に見えて実はほとんどが不透明なヒトとモノの連鎖を何らかの形で再度繋げる必要があるということだ。

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2006年5月 3日 (水)

初名古屋

名古屋。よく考えてみると明治期には長浜より名古屋に茶や生糸の流れはあったが、米の流れはあまりなかったなあと思い出す。そもそも関ヶ原で文化圏が大きく分断されているのはなぜだろう。関ヶ原周辺は吹き溜りになっていて全国的に見ても積雪が多い地域であるが、そのことと関係あるのだろうか。

そんな全く違う文化圏に住むこととなり、なんだかちょっと楽しみである。例えば、名古屋の人は車好きだ。どこに行くにしても車に乗って行くらしい。名古屋が車好きなのはトヨタがあるせいだろうか。それとも車好きな文化の上にトヨタがのっかったのだろうか。

名古屋は東京と大阪に挟まれて、昔から往来が多く通過的な文化が根付いていると一般的に言われている。そうなると車やバイク関連の企業が東京や大阪でなく名古屋とその周辺で発達していることも納得がいく。

馴染みのある人達と離れて、新しい土地に住むのは寂しくもあり不安でもあるが、またちょっぴり色々と楽しみでもある。

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